会社案内

会社名 書肆半日閑
代表者名 五十嵐賢一
事業内容 書籍の出版と販売
創立 2000年12月1日
所在地 〒168-0082 
東京都杉並区久我山3-35-15-313
電話・ファックス番号 03-6386-6778
E-mail hanjitsukan@outlook.com
http http://www.hanjitsukan.com

 

 

社名「書肆半日閑」について

 

 社名の「書肆半日閑」は、「しょしはんじつかん」と読みます。「書肆」は少し古い表現ですが、今で言えば、出版社・書店にあたります。「半日閑」は、読んで字のごとく、一日の半分を心穏やかに、のんびりとという意味です。しかし、そればかりでなく、半日閑というこの表現の背後には、中国と日本の文化の奥深い歴史と伝統が存在します。

 「半日閑」という語をひとつのまとまった表現で初めて用いたのは、中国の晩唐の詩人李渉とされています。李渉の「題鶴林寺」には次のような詩句があります。

 終日昏昏酔夢間、忽聞春尽強登山。

 因過竹院逢僧話、又得浮生半日閑。

一日中、酔って夢の中にいるようにうつうつとしていると、ふと春がたちまち終わってしまうことに気づいて、思い切って山に登る。竹林に囲まれた寺を過ぎたところでひとりの僧に出会い、話を交わしたせいで、このとりとめのない人生を、半日の間心穏やかに過ごすことができた、というものです。この「半日閑」なる表現は、つづく宋の時代の詩人蘇軾、すなわち、時の大政治家として、さらには詩文や書画の教養によって、なかんずく名筆によって名高い蘇東坡によっても用いられることになります。

 この蘇軾をはじめとする宋の文化は、鎌倉時代以後日本の文化に移入されて大きな影響力を持ち、寺院の僧や宮廷の知識人たちは、それら中国の詩人たちの詩を修養の基本のひとつに据えました。室町時代の五山の詩にもこの語が現れるといいます。この蘇軾に傾倒した室町時代末の詩僧彦竜周興、彦竜に私淑した藤原惺窩の詩、また惺窩の友人木下長嘯子の歌文にも現れます。以後しばらくの間は、和歌等でも影をひそめるとされますが、江戸時代になって、再び山口素堂、宝井其角、与謝蕪村等の俳句や、芭蕉の俳文に現れます。芭蕉の元禄四年の『嵯峨日記』の四月二十二日のくだりにはこう記されています。

 

 朝の間雨降。けふは人もなくさびしきままにむだ書してあそぶ。其ことば、喪に居る者は悲をあるじとし、酒を飲むものは楽あるじとす。さびしさなくがうからましと西上人のよみ侍るは、さびしさをあるじなるべし。又よめる、
    山里にこは又誰をよぶこ鳥独すまむとおもひしものを独住ほどおもしろきはなし。長嘯隠士の日、客は半日の閑を得れば、あるじは半日の閑をうしなうと。素堂此言葉を常にあはれぶ。予も又、
    うき我をさびしがらせよ閑古鳥

 

ここでは芭蕉は、「奥の細道」の半年にわたる長途の旅から2年前に帰還したばかりで、俳諧の弟子向井去来の、京都洛西の嵯峨野にある別業落柿舎に旅の疲れを癒しているのです。雨に降りこめられた一日を部屋に籠って、彼は「独り住むほどおもしろきはなし」として、「むだ書き」しながら静かに「遊んで」過ごしています。するとそのとき、庵の外の木立で、時鳥がけたたましく啼きます。芭蕉は独り遊びの穏やかな愉しみを破られて歯がみをします。そして、あたかも500年前に、この同じ嵯峨の山里の奥に庵を結んで、世間を離れて、「さびしさをあるじとして」暮らしていた西上人、すなわち西行法師に自らの思いを仮託するのです。

 その西行の歌が、「山里にこは又誰をよぶこ鳥独すまむとおもひしものを」です。すなわち、また誰かが門口で自分を呼ぶ声が聞こえる。自分は俗界を離れてただ独り静かに暮らしたいのだが、というものです。そして、それに応えるのが、芭蕉の句、「うき我をさびしがらせよ閑古鳥」です。時鳥が啼きしきるが、お前の啼き音にはこまったものだ、どうか啼きやんで、私を静かな境遇のなかにとどめてくれ、と。

 ここに出てくる長嘯隠士とは、安土桃山から江戸初期にかけての武将にして歌人で、秀吉の縁者であったせいで小浜城主となったが、大阪の役の後剃髪して、これまた東山に隠棲した木下長嘯または長嘯子です。また素堂は、俳諧で北村季吟の同門の芭蕉と特に親しかった人物です。長嘯の「客は半日の閑を得る」云々のくだりは、次なる蘇軾にまつわるエピソードに由来しています。すなわち、若い書生の蘇軾が、教えを乞うべく、山深い僧院に老僧仏印を訪ね、話の中で先述の李渉の詩「題鶴林寺」を朗誦したところ、仏印はそのパロディーとして、「学士半日ノ閑得セルモ、老僧半日ヲ忙了ス」とやり返したというものです。お前は半日私と話をしていい気分になっただろうが、私はお前の世話であくせくとするうちに大切な半日を失ってしまったと、仏印は蘇軾を皮肉るのです。これら、ここに登場する人物たちは一人残らず、世の喧騒や闘争を去って、穏やかな日常を求める人々です。

 与謝蕪村は、芭蕉から70年あまり遅れて生を享けた画家にして俳諧師ですが、その蕪村に、「半日の閑を榎やせみの声」という佳句があります。半日をのんびりと庭の榎の木で鳴いている蝉の声に耳を傾けている蕪村の姿が目に浮かびます。蕪村は、時鳥の啼き声を嫌った芭蕉と違って、蝉の声は嫌わなかったようですが、両者ともに、静かな自然の環境の中に身を置いて、その自然に、また自己の内なる声に耳を傾けていることに違いはありません。ここには、鎌倉時代以来、中国文化を経て営々と培われてきた日本の文人の理想のあり方ともいうべきものがうかがえます。すなわち、文人たるもの、いな人間たるもの、自然の中に身を置き、自然に耳を傾け、それと同時に自分の内なるものの声に耳を傾けざるべからずというあり方が。それにしても、西行の客の声といい、芭蕉の時鳥といい、蕪村の蝉の声といい、話が聴覚にまつわるものであるのは面白い偶然です。しかしこれは、三人がともに自然の中に住み、のんびりと時間を過ごすことによって、感覚が研ぎ澄まされていることの証しにほかなりません。

 

 わが社の社名を「書肆半日閑」と命名した所以もここに連なります。この社名には、機械科学万能主義、情報過多、効率優先主義、利益至上主義、言い換えれば、人間性の喪失、とりわけ人間の知性と感性と心性の後退あるいは消滅の時代にあって、心静かに自然と対し、自己と人間を深く省察し、感覚を研ぎ澄まし、かくして真の人間性に立ち戻り、日々の暮らしの悠揚迫らない歩みと、真の愉しみと豊かさとを志す読者に、いくばかくかでも寄与する書物を提供することを使命とする意が込められています。

 

参考文献

  • 安藤次男著『古美術拾遺亦楽』(1974年、新潮社)
  • 『蘇軾(上と下)』小川環樹注(1962年、岩波書店)
  • 吉川幸次郎著『宋詩概説』(1962年、岩波書店)
  • 松尾芭蕉著『嵯峨日記』(1971年、岩波書店)
  • 与謝蕪村『蕪村俳句集』(1989年、岩波書店)